ロロ『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』

ロロ『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』をみた。とてもよかった。
http://lolowebsite.sub.jp/anata/theater

 

公演情報のページに載っていた文章が好きで、男女の恋愛の話か〜〜泣いちゃうな〜〜みたいな雑な気持ちで芸術劇場を訪れた結果、男女の恋愛の話、というかむしろ、場所の話と思い出す話と歩く話と待つ話だということを知ることになった。それはつまりソングラインの話だとも言える。だとも言える、も何も、ソングラインを参照しているということは明言されているのだけれど。

  

ソングラインというのはアボリジニの伝承のひとつで、神話を歌うような形式をとりながら、水が飲める場所や薬草が生えている場所への道のりの説明としても機能を果たしているものだ。ソングラインにおいては「神話と地図が符合している」(ジョン・フォーリー)と言われている。詳しいことは調べればよいとして、単純に機能の面から言えば、ソングラインはある場所までの道順を覚えるための記憶法でもある。

 

事実、ソングラインのように場所と記憶を結びつけるような記憶法は「場所法」と呼ばれていて、記憶が結びつけられる場所は「記憶の宮殿」と言われている。それはソングラインのように実在の場所と記憶することが結びついている場合もあるけれど、記憶法として使われる場合は必ずしも現実と符合している必要はない。例えば、「チーズ、ピクルス、ソーセージ」を覚えようとして、実家の前の道路にチーズが落ちていて、玄関にピクルスの瓶がおいてあって、靴箱の上にソーセージが飾られている、みたいな状況を頭の中に作り出すように。全米記憶力選手権で優勝したスコット・ハグウッドは建築雑誌に出てきた豪邸を記憶の宮殿として使っているし、家どころか、体の様々な部位を記憶の拠り所をすることで記憶の容量を増やすことに成功した人もいる。場所と記憶というのは親和性が高いということなのだろう。

 

これは単に順番を逆にしているだけなのだが、そもそも、我々の暮らしているこの現実の世界自体こそがきっと「記憶の宮殿」なのだと思う。記憶と場所は強く結びついている。江古田の天下一品に行けば高校生のとき天一くじで当たりを引いた時の光景を思い出すことができる。本郷三丁目の交差点に行けば大学生のとき学園祭のあと雨の中友達と集合写真を撮ったことが思い出すことができる。新三郷のららぽーとに行ったらそこでももいろクローバーのイベントを見た日のことを思い出すことができる。この世界の様々な場所に我々の記憶は埋め込まれていて、その記憶たちは言ってみれば落とし穴みたいな罠で、もう一度発動させられることを待ち続けているのかもしれない。

 

いつも通る道沿いにあった建物がある日いつの間にか空き地になっていた時、駐車場になっていた時、コンビニになっていた時、そういう時にしか生じないような独特の「あれ、ここなんだっけ?なんか前は別のなにかがあった気がするけど……」という感覚は単純に自分が何かを忘れていることのもどかしさである以上に、自分がそこに埋め込んでいた記憶がなくなったこと、記憶の宮殿がなくなってしまったショックなのではないかという気がしている。記憶の強弱によって例外はあれど、ある場所がなくなるということは、そこに埋め込まれている様々な記憶がなくなる(なくなりうる)ということなのかもしれない。だとすれば、「地縛霊」というのは場所に対する記憶のオーバーロードという感じもする。

 

記憶のオーバーロード、といえば、TOKIO松岡くん主演のドラマ『サイコメトラーEIJI』は子供のとき結構怖かったなあ、というわけで、サイコメトラーサイコメトリー)は場所というより物体に記憶を埋め込んでいる話なのだろう。物体に限らず、匂いでも音でも我々は記憶を埋め込んでいて、この匂いを嗅げばこれを思い出す、とか、この曲を聴くとこの日のことを思い出す、とか、そんな感じで我々はあらゆるものにあらゆる記憶を埋め込んでいる。漫画『HUNTERxHUNTER』に登場するパクノダというキャラクターは銃弾に記憶を埋め込んで撃つことで記憶を共有することができるけれど、これはかなりまさしく記憶っぽい感じだ。

 

あらゆる場所にあらゆる人々の記憶が埋め込まれているのだとすれば、私を私たらしめているのは自身の軌跡なのだ、と、そりゃ当たり前でしょうという感じがしなくもないけれど、僕は散歩が好きで、散歩というのは白地図を徐々に塗りつぶしていくようなものだと思っているのですが、その塗りつぶしの濃淡も含め、一人一人の塗り絵は同じところがあったり全然違うところがあったりして、この世界はあらゆる人の塗り絵が重なっていて、めちゃくちゃ濃いところも、ほぼ白紙のところもあって、その全てが常に現在進行形で(あるいは過去進行形・未来進行形でも)変わり続けているということが、世界の素晴らしさだと思える。70億枚以上のレイヤーが世界に被さっている。

 

そういえば、ロロのこの作品には「東京ラブス鳥」という「ツクツーン」と鳴くめちゃくちゃ馬鹿馬鹿しくて最高の鳥が出てくるのだけれど、この世界のあらゆる時空間、任意の時間の任意の点Pはあらゆる誰かにとっての「あの日あの時あの場所」でありうるということもとても美しいことだと思える。無限にあるトランプをパラパラめくっていって、あなたの好きなタイミングでストップと言ってください、そのとき山札の一番上にあるカードを確認して、何万回やったって、どんなカードが出てきてもそのカードが誰かの「あの日あの時あの場所」でありうる感動というか。あと、『東京ラブストーリー』のキャッチコピーが「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」なの最高じゃありませんか??誰もがラブストーリーの主人公で、あなたがこの投稿を読んでいるこの瞬間ですら「あの日あの時あの場所」でありえるなんて!

https://www.youtube.com/watch?v=6XmSPVWqle4